2019年 09月 27日
既視
私の祖母はすでに他界しているが、元々は長野県の奈川の生まれ。およそ100年も前に山深い村に生まれた祖母は働くことが出来る年齢になると名古屋に・・・。そこで三重県の山奥から仕事を求め名古屋にきた祖父と出会い結婚。そのせいでもあるまいが、私は長野の山中に立ち入ると説明のできない安堵の気持ちと既視感、開放感に包まれる事がある。特に松本から安曇野にかけてのエリアから北アルプスを眺めたときや、釣りで開田高原に来て御嶽山を仰ぎ見たときなどは顕著だ。あの景色はおそらく誰もがそれに近い感覚を得ることができると思うのだが、私が個人的に感じる感覚は多分少し違うと思う。それが私の遺伝子の組み込まれた原風景による既視感だという気がしてならない。
今シーズン、残された期限が少なくなって、スケジュールを確認すると釣行可能な日程は、平日しかない。となると、単独釣行ということになる。最近は釣行のたびに怪我をしての帰宅が増え、カミさんから「一人で行ってはダメ!」と単独禁止令が発令されており、恐る恐る「安全なところへ行くからさ…」と聞いてみるもNG。
ところがあまりにションボリしてたのだろうか、向こうから「キチンと連絡してくれれば…」とお許しが出た。
もう今シーズンの釣行はないものと、ベストのポケットを空にして整理に取りかかっていたものだからタイヘン。夜遅くになってそこら辺に散らばっている小物をポケットに突っ込み〜の、着替えを用意し〜の、と慌ただしく準備をして釣行に備える。
向かうのはもちろん遺伝子に刷り込まれた原風景の渓。
春の釣行でいい思いをしたアンゼンな渓。上流部に車を止めて下流部に向かって歩く。やっぱりとても気持ちがイイ。秋晴れの青空もススキが風にそよぐサワサワとした感じも安堵と解放をもたらしてくれる。


ところが世の中はそんなに甘くない。渓がもたらしてくれたもの、それは沈黙だ。堰堤をふたつ越えると、勝手に「桃源郷ポイント」と名付けた渓魚が湧いてくるように釣れた場所が見えてきた。新しいティペットに替え、あの時と同じアダムスをシッカリと結ぶ。入念にフロータントをドレッシングし釣りあがっていく。やはり帰ってくるのは沈黙。諦めきれず少し釣り上がるものの水の中に動きは見られない。
川添いにある旅館がやっている蕎麦屋で蕎麦を食べ、釣友に「釣果ゼロ」と連絡を入れて、蕎麦屋のオバちゃんと地元出身の優勝力士の話をしてから店を出る。

少しだけ離れた支流にフライを浮かべる。小さな魚が浮かび上がるのが見えた。もう一度流してみると岩陰から魚が飛び出してきてひったくるようにフライを咥えた。咥えてから安全な場所に戻るうUターンのタイミングで遅合わせ。なんとかチビッコイワナの姿を見ることができた。

もう帰路についてもイイかなとも思ったが、どうせならタナビラの姿も…と欲が出る。山を越え渓を替える。ここも実績のあるポイントだ。ふと見ると袖口に小さな黒っぽいトビケラのような虫が止まっている。「エルクヘアを使えってことか…」勝手にそう理解してEHCを結ぶ。果たしてその虫が水棲の虫で流れに漂う虫なのかはわからないが、御神託と受け止めキャストを繰り返す。何投目かのキャストに沈黙を破る魚が現れた。案外すんなりとランディング。小さいが綺麗なタナビラだ。

これでロッドオフと車に乗り込み川添いにある「幻の蕎麦屋」の前を左折して橋を渡る。峠を越えたところにある温泉に浸かろうとつづら折りの道を走る。



峠からの展望をしばし鑑賞したのち下り坂に差し掛かると右手に細い流れが現れる。車を止めてガードレール越しに覗き込むととても細い流れが見えた。さすがに車を止めて竿を出すほどのものでもないかとやり過ごししばらく走ると、落差100mくらいの滝が現れた。車を止め滝を眺めるついでに滝から落ちる水の先を辿る…。「釣れるんじゃね?」と思ってしまうのが釣り人の常。ほかの観光客もいないし…って事で、藪をかき分け渓に降りる。

しかし物事はそれほど都合よくいくもんじゃないってことは、還暦をとうに過ぎたジジイなら何度も経験してるはず。
学習能力ないなぁ、オレ。

